太った芸能人、やせた芸能人を取り上げ、ダイエット情報を発信している安川です。






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こんにちは。 【ブログ過激!!】遠野なぎこ、ゲキ激太り?! よろしくお願いします。

本名:青木秋美、1979年11月22日生まれ、神奈川県川崎市出身。

1991年テレビ朝日「鳥人戦隊ジェットマン」で女優デビュー。

1995年NHK大河ドラマ「八大将軍吉宗」に出演、1999年にはNHK朝の連続テレビ小説「すずらん」でヒロインを務める。

幼少期の虐待が話題になる他、数10日の短期間で破局を迎えた2度の離婚が注目を集めるなど、何かとお騒がせの私生活がセールスポイント。

最近では、女優の仕事よりバラエティ番組中心の遠野なぎこ。

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テレビに出演するたびに、激太りと話題になっています。

今回は、遠野なぎこが激太りする原因となったデビュー前のできごと。

ブログで語る母親から遠野なぎこが受けた激太りバッシングにも触れてみます。

何でもブログに書いてしまう遠野なぎこなので、バラエティでは語れないこと、思っていることを全てブログに書いています。
ブログから調べられる情報量が多すぎるほどです。

ランキング上位にくるようなタレントと、遠野なぎこのブログは全く別物です。

ブログランク上位のタレントは、食べ物やショッピングした商品の写真と商品のリンクバナーばかりで、文章は数10文字程度。

インスタグラムとブログの違いも分からないほど、写真中心、商品広告、バナー中心、金儲けの手段のブログばかりです。

それに比べると遠野なぎこは、写真は少なく、日記というより私小説。

将来は作家かエッセイストを目指しているのでしょうか。

遠野なぎこのタレントとしての転機は、事務所の移籍あたりから。

2012年4月に東宝芸能からワイルドビジョンに移籍したのも、バラエティと番組と女優を両立させるためでした。

女優として実績のある遠野なぎこがなぜ、バラエティにこだわるか。

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その理由は母親にあります。

子役時代から女優を続けている遠野なぎこにとって、芝居は母親が敷いたレールであり、バラエティは自分が新たに切り開いた道だと思ったからだそうです。

だからこそ、遠野なぎこにとって、バラエティ番組は大切な居場所だということ。

本音を語る大切な場のようです。

遠野なぎこが本音を語る場として、もう一つ重要なのは、自身のブログ「Nagiko Tono Offecial Blog」です。

遠野なぎこはブログの読者からの強い希望もあって、自分の摂食障害体験を語りました。

2013年6月9日のブログ記事です。

この日のブログタイトルは「摂食障害という病」。

遠野なぎこが摂食障害と診断されたのは、15歳のときでした。

思春期で体重が増え始めたのを気にした母親が遠野なぎこを激太りとなじり、「吐く」という行為を教えたことがきっかけだったそうです。

一番最初の症状は「過食嘔吐」。

大量に食べてはトイレに行って大量に吐く行為を繰り返すのです。

母親から教えられて、白湯を大量に飲んだり、麺類を食べたり吐くための工夫をさせられたといいます。

多少の激太りを理由に子どもに吐かせる親がいるなんて信じられません。

遠野なぎこに吐けといいながら、母親が目の前で食事を楽しむ姿を見せられ、一層症状が悪化していったのです。

過食嘔吐を繰り返し痩せていく遠野なぎこに母親が優しい目を向けてくれていると思いこみ拒食症になり、さらに体重を減らせば褒めてもらえると思いエスカレートします。

その頃リストカットを始め、22歳くらいまでリストカット癖は止まりません。

その後、自傷行為は卒業しても、腕や身体に傷跡が残ってしまいました。

この頃の体重は30キロ台まで落ちていました。

オーバードース(薬物の乱用)をして、母親がため込んででいた薬をでたらめな数量飲んで死のうとしたのです。

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この段階で、ドクターストップが出て、ようやく数年間女優の仕事を休みました。

その結果、3年間休むことになったのです。

休んでいる間に、狂ったように遊び歩いていたそうです。

おかげで、拒食は少しずつ落ち着いてきた時期もあります。

ここからは、過食や拒食に代わる次の依存対象が現れました。






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食事の代わりに男性という対象に依存し始めました。

食事で心のアナを埋めていた部分を食事ではなく女として男性に認めてもらうことでそのアナを埋めるようになったのです。

乱暴な生き方は、自傷行為と同じです。毎日とっかえひっかえ違う男と遊び狂ってしまいました。

3年間の休業期を終え、最初に受けたオーディションがNHKの朝ドラ「すずらん」のヒロイン役。激太りとは言わないまでも、少し太り始めていた時期です。

復帰後、超過密スケジュールの間も、またしても男性と遊び歩いていたそうです。

同棲相手がいるのに、出会う人全てに女として求められたかったといいます。

その後20代前半は再び拒食。

お菓子しか食べない生活や噛んでも飲みこまない「チューイング」を続け、いつもイライラしていました。

別の男性と同棲を始めると、「過食嘔吐期」がまたはじまります。

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手料理を作っても自分は食べないで、拒食のストレスからまた嘔吐してしまうのです。

27~28歳のころは、お菓子しか食べられなくなり、カロリーよりもグラムに気を配って食べていたそうです。

最初の結婚は、29歳のとき。

半年付き合った後、結婚しました。年下の彼には摂食障害のことは隠して、会わない日に過食嘔吐をしていました。

結婚を機に改善されるかと思っていた症状はどんどん悪化。

酷い日は1日5回の過食嘔吐でふらふらでした。

入籍1カ月で「離婚してください」と伝え、「2カ月目にようやく離婚できました」とブログで語る遠野なぎこ。

離婚後は、仕事のストレスがきっかけで「吐かない過食」で激太り。

70キロ台という本当の激太りになりました。

知らない人にまで指摘される激太り。

「何でそんなに激太りしたの?」「激太りの原因はなに?」など次々と激太りの理由を聞かれる日々でした。

遠野なぎこは文章を書くことで、ストレスを発散しているのかもしれませんが、ブログで発表した内容は、本にも書いています。

「一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ」という本を2013年3月に出版しています。

虐待、育児放棄、家庭崩壊、不倫を続ける母は「お前は醜い」といい続け、遠野なぎこは鏡を見ることさえ怖かったと明かしています。

母親にさえ愛されたことのない遠野なぎこにとって、「愛がよくわからない」のは当然。

そんな自分が男の人から愛してもらえるわけがないと悩み続けた半生を綴っているのです。

この本は、母への愛と憎しみを断ち切るため、少女時代の弱かった自分を葬るために書き上げたと遠野なぎこは語っています。

遠野なぎこのもう1冊の本が、2014年4月発行の「摂食障害。食べて、吐いて、死にたくて。」です。

本の帯には、「これはダイエットではなく、心の病。

もう隠したくない。この苦しみ、知ってほしい。」とあります。

1作目で、衝撃的な生い立ちを明かした遠野なぎこは、さらに母に追い討ちをかけるように攻撃を続けます。

母は、愛さなかっただけでなく、娘を摂食障害という地獄へ突き落としたと語る遠野なぎこ。

摂食障害、強迫性障害、身体醜形障害など20年近く患っている心の病について、全てを告白している本です。

これら2冊の本はいずれも、すでにブログやバラエティで語った遠野なぎこの体験談です。

この母が、「女性自身」で自殺未遂と記事にされ、遠野なぎこはブログで否定していました。

音信不通なので、事務所経由で真相を調べると、コンロでの火傷だけだったそうです。

周りからは母との関係修復を勧められますが、遠野なぎこには全くその気はないようです。

ブログでも断言しています。

楽しい生活をブログで語るためのバナー満載のブログとは違いますが、結局遠野なぎこのブログも営業ツールだったのかと納得のいく2冊の本です。

ブログで何度も告白しているように、過食嘔吐や拒食症を繰り返す遠野なぎこにとって、激太りや激やせは自在にコントロールできるのではと勘ぐってしまいます。

激太りしても、遠野なぎこのように食事コントロールができれば、簡単に痩せられます。

逆にリバウンドして激太りも簡単にできるはず。

過食嘔吐したり、過食だけしたり、どちらも可能なら体重コントロールは自在のような気がします。

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ですから激太りするのが不思議な気もします。

激太りするということは嘔吐していないということなので、健康的なのかもしれません。

嘔吐せずに過食だけ残れば、激太りは止まりません。

激太りしたり、激やせしたり自在に体重をコントロールできるのですから、女優としての遠野なぎこは監督やプロデューサーからは重宝されるのではないでしょうか。

「七股女優」と騒がれた遠野なぎこですが、今後は、「激太りと激やせが自在」の女優として、ブログでアピールしてはどうでしょう。









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