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こんにちは。 【病気くり返し】武田鉄矢が激やせ!! よろしくお願いします。
本名:武田鉄矢、1949年生まれ、福岡県福岡市出身。
高校時代、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に感銘を受け、生涯龍馬を追い続ける。
1972年、海援隊でデビューの翌年、「母に捧げるバラード」がヒットし、1974年の紅白歌合戦に出場を果たすがその後、しばらく低迷。
1977年の「幸福の黄色いハンカチ」で新境地を開拓。
1979年、ドラマ「3年B組金八先生」のヒットで主題歌「贈る言葉」も大ヒット。
10月7日に放送のフジテレビ「ノンストップ!」に武田鉄矢が出演し、激やせした姿が話題になりました。
武田鉄矢は42歳だった1991年に自らの異変に気づきました。
「101回目のプロポーズ」に主演で出ていた多忙を極めていた頃のことです。
最初の症状は、「何をやっても力が湧いてこない、体調の変化でした。
ちょっとうつ病っぽくなった」と武田鉄矢は話します。
「考え方が暗くなり、事務所が数週間も休みをくれると今後は仕事が入ってこないんじゃなかとか」、精神的に落ち込んでしまったそうです。
病気を明かして心配をかけたくないためか、メンバーや家族には、落ち込んだ様子を知らせなかったそうです。
海援隊の元メンバーの千葉和臣は当時を振り返って「最近眠れないと言っていた」という程度。
外見も注意すると激やせ気味なのが分かります。
その後も新たな病気が武田鉄矢を襲います。
2011年には大動脈弁狭窄症にかかって、手術をして5週間入院。
肉体の老いがさらに武田鉄矢を恐怖のどん底に追い込みました。
武田鉄矢の愛読書、心理学者ユングの本に「人生は山登りのようなもの。登ったあとは降りなければならない。
登りっぱなしでは遭難になってしまう」とあります。
その言葉で、武田鉄矢はようやく救われたのです。
この番組で、武田鉄矢が過去の病気の苦しさを明かしたのは、新曲アルバムの宣伝の意味もあったのかもしれません。
10月8日にニューアルバム「去華就実~花散りて次に葉を茂り実をむすぶ~」をリリースしました。
そのアルバムの中にある「♪そうだ病院へ行こう」の歌詞は、かつての武田鉄矢のユーモアソングを彷彿とさせます。
この歌は「そうだ病院へ行こう、そうだ病院へ行こう、手遅れになる前に」で始まります。
夜明け前のジョギングで職務質問を受け、健康づくりも楽じゃないと嘆く話題。
ため息つく姿に嫁が「元気がないね」と励まし、鼻歌で「いい日旅立ち」。
そこで思いついたのが、「そうだ病院へ行こう」。
病院に行くと、待合室で仲間ができて、一番人気の心臓病患者は臨死体験を三度もしているとか、40肩と診断された75歳の老人が若返ったと万歳したり・・・。
ブラックなユーモアは相変わらずです。
病院へ行けば、必ず悪いところが見つかるという皮肉。
血糖、血圧、尿酸値、中性脂肪に体脂肪、ヘモグロビンA1c、インスリンなど気になる数値のオンパレード。
歌詞の最後には「たったひとりで健康よりも、みんなで少し病気のほうが人に優しくされるしできる」と自分の病気を慰めるような歌詞もあります。
芸能人に限らず、病気は他人に隠しがちなものです。
武田鉄矢も以前は、病気を公表しませんでした。
激やせも話題にならないよう努力していたのかもしれません。
サラリーマンがうつ病になった場合も、なかなか病気を公表できません。
病気が出世に影響するからです。
うつ病にもいろいろあります。
最近では新型うつ病といって、会社には出勤できないが、レジャーや趣味は楽しめるという新種の病気も報告されています。
ですから、この病気は仮病のように取られてしまいますが、本人には深刻な病気です。
武田鉄矢に限らず、うつ病に苦しんだ芸能人はたくさんいます。
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最近ではAKB48を卒業した大島優子にも、この病気の噂がありました。
とくにアイドル系のタレントは、ブログなどで近況を記事にする傾向が多いので、頻繁に発信していた情報を少し休むと、病気だといわれます。
うつ病は芸能人のように人前に立つことが多い仕事には多くみられる病気です。
2013年1月に有村昆と結婚した丸岡いずみは、挙式のとき、出演していた番組の降板が東日本大震災の取材による震災うつと告白していました。
ナインティナインの岡村隆史は2010年に「体調不良」で芸能活動を休止。
引退を覚悟したと当時の心境を明かしています。
ネットユーザーは岡村の病気を「うつ病だったのでは」との見方が広がりました。
古い話では、1998年に重度のうつ病を発症した高島忠夫のケースがあります。
1979年~1998年までの26年間続けてきた料理番組「ごちそうさま」の司会交代と母親の入院がきっかけだったようです。
当時売れっ子だった高島はレギュラー番組の「暴れん坊将軍」「ゴールデン洋画劇場」など4本の番組を降板し、病気の治療にあたりました。
2007年春に復帰した高島忠夫は、多くの芸能人がこの病気になったことを告白しています。
高島はこの病気の6年にも及ぶ闘病生活を書籍にして発表しました。
カッパ・ブックスから発売された「『うつ』への復讐」です。
この本は2007年6月に、日本テレビでドラマ化されました。
高島忠夫を松方弘樹が演じ、視聴率も16.5%と好評でした。
高島はかなり重度の病気だったようです。
外見も激やせ、不眠とアルコール依存、さらには酒で睡眠剤を流し込むほどでした。
さらに悪化した病気は、昼間も雨戸を閉め切った真っ暗な部屋で終日ベッドに横たわり、瞬きもせず瞳を天井に向けたままの状況。
顔からは表情を失い、言葉もでない高島忠夫にかつての明るい面影はありません。
病気の間、母の死を2年半知らされずにいたそうです。
そして、妻の寿美花代は家中の包丁を隠し、自殺から高島を守りました。
うつ病と比較される病気に、パニック障害があります。
急性の強い不安の発作を繰り返す症状を特徴とする病気です。
パニック障害を発症したとされる、タレントは音無美紀子、高木美保、長嶋一茂、木の実ナナがいます。
最近では、タレントの安西ひろこがパニック障害の病気で話題になっています。
1996年に芸能界デビューした安西ひろこは、ギャルのカリスマとして圧倒的な支持を得ていましたが、2001年末に突如、姿を消しました。
その発端は、仕事現場で突然倒れたことでした。
その後、パニック障害と病気が判明して芸能活動を休止したのです。
7月1日に放送された「解決!ナイナイアンサー」に出演したとき、安西は10年以上にわたる闘病生活を赤裸々に語りました。
病気の発症から7年間は芸能活動を休止し、2007年からモデルとして復帰。
無理がたたって再び病気を患い活動を休止しました。
今回、スタジオに姿を見せた安西は「薬を飲むのもやめて、今は体調万全」とアピール。
芸能界完全復帰を宣言しました。
安西のパニック障害や岡村隆史の場合と違って、武田鉄矢の場合は、闘病のための休暇はとりませんでした。
おかげで武田鉄矢の病気はそれほど、知られることもなかったようです。
ただ、30代の頃と比べると激やせしていたのが分かります。
もともと短足でちょこまか動き回る武田鉄矢は、一時期カンフー映画に出演したり、健康なイメージが強かったので、激やせは似合いません。
うつ病にかかって20年以上、激やせした姿をみせないため、激やせが目立たないように、努力していたのかもしれません。
11月10日の高倉健が悪性リンパ腫のため、83歳で亡くなりました。
各局では、その緊急追悼番組が放送され、武田鉄矢も出演していました。
「幸せの黄色いハンカチ」は武田鉄矢にとって、映画デビュー作でした。
武田鉄矢は、映画の思い出を語り、高倉健をしのびましたが、その時の姿がより一層激やせしたと話題になっています。
既に大スターだった健さんとの1カ月に及ぶ撮影は、駆け出しの新人・武田鉄矢にとって貴重な体験でした。
それこそ、当時の武田鉄矢は激やせでした。
金のない若者の役なので、激やせの武田鉄矢にぴったりでした。
追悼番組で、激やせの武田鉄矢が健さんの思い出を語る姿が放送されます。
投稿サイトでは誰だかわからないレベルに激やせとスレッドがたちます。
テレビに映る武田鉄矢を見ていると、激やせだけではなく、かなり老けた印象があります。
65歳ですから当然。
病気の影響もあって、激やせは否定のしようもなさそうです。
演技派の武田鉄矢、自分の病気を歌にするくらいなので、激やせの役を演じたり、激やせの歌を歌うかもしれません。
武田鉄矢には病気や激やせに負けないでかんばって欲しいものです。
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