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こんにちは。 泉ピン子が太った!?朝ドラ【マッサン】 いかがお過ごしでしょうか?よろしくお願いします。
本名:武本小夜、1947年9月11日生まれ、東京都中央区出身。
牧伸二に弟子入りし、歌謡漫談家としてデビューし、キャバレー回りの後、1975年「テレビ3面記事ウィークエンダー」の事件レポーターを担当。
歯に衣着せぬ話術が受ける。
1983年NHK連続テレビ小説「おしん」で女優としての評価を得た後、「渡る世間は鬼ばかり」は1990年から続く代表作。
2014年10月開始のNHKの朝ドラ「マッサン」に出演。
9月まで放送された「花子とアン」は朝ドラ史上過去10年でナンバーワンの平均視聴率22.6%をマーク。
ここのところ、NHKの朝ドラは好調で、「あまちゃん」以降、「ごちそうさん」、「花子とアン」と立て続けにヒットしました。
「マッサン」の初回視聴率はどうだったのでしょう。
ビデオリサーチ調べでは21.8%だったことが翌日発表されました。
初回の数字は前作の「花子とアン」も同じです。
「マッサン」に出演する泉ピン子や、主演の玉山鉄二も一安心といったところでしょう。
ヒロインのエリーを演じるシャーロット・ケイト・フォックスの演技もネットでは好評のようです。
エリーのかわいらしさに注目が集まる中で、それをいびる姑『早苗』を演じる泉ピン子への意見は微妙。
本人さながらの意地悪な泉ピン子の役柄でもあり、ツイッターでも、「泉ピン子が朝から怖い」とか「泉ピン子の嫁いびり編はせいぜい早めに終わって欲しい」などとの評判です。
意地悪な姑役のキャスティングは絶妙で、泉ピン子以外にこの役は務まらないという意見も多いようです。
番組自体は順調な滑り出しですが、演技そのものより、泉ピン子の存在そのものが、視聴者に嫌われて今後の「マッサン」の低評価につながらなければいいのですが。
でも、ご安心を!泉ピン子の虐めは、2週間ほど続きますが、その後「マッサン」夫妻は、二人で広島から関西に飛び出してしまうそうです。
朝ドラ史上初の純外国人がヒロインとなる物語の「マッサン」。また男性を主人公に置いた作品としても、1995年の「走らんか!」の三国一夫以来19年ぶりです。
「あまちゃん」以来3作連続でヒットを続ける朝ドラなのに、このチャレンジスピリットには感心します。
朝ドラの歴史を振り返ると、1961年の「娘と私」が初回作品。当時は8:40~9:00の20分番組で1年間通しの枠でした。
現在の半年度1作品となったのは、1975年の大竹しのぶがヒロインの「水色の時」からです。
この作品以来4月~9月の前期作品はNHK東京制作、10月~3月の後期作品はNHK大阪制作が続いています。
今回の「マッサン」はNHK大阪放送局制作の順番です。
時代設定は大正9年(1920年)から始まります。
「マッサン」とは主人公・亀山正春のニックネームからつけられています。
広島県の造り酒屋の次男として生まれ、20歳のとき初めて飲んだウイスキーの味に魅せられてスコットランドに留学します。
マッサンが留学先で出逢って交際を始めたのがヒロイン・エリーです。
エリーを演じるシャーロット・ケイト・フォックスは、「マッサン」のオーディションサイトを見て応募するまで日本に来た事もなく日本語も全く話せません。
「マッサン」のオーディションでは、日本語を全く話せないまま、演技テストを受け「ずば抜けた演技力」と「コメディセンス」で選ばれました。
「マッサン」のヒロインへの応募者は日本国内で232人、国外289人、500人以上の中から選ばれた逸材です。
今年3月から東京に滞在し、5月のクランクインまでに日本語の語学特訓を受けて撮影に臨みました。
マッサンを演じる玉山鉄二も、マッサンの妻役のシャーロット同様、面白い逸話があります。
長男として生まれましたが、名付け親の神主から「この子は長男らしく家を継ぐことはないから、長男らしくない名前にしなさい」と言われ、「二」の文字を入れたそうです。
泉ピン子が演じるマッサンの母親は、長男が家業を継がないで家を出たため、次男のマッサンに跡継ぎとしての期待していました。
そのマッサンが帰国し、連れてきたのが外国人のエリーだったのでガックリし、泉ピン子の虐め演技が始まるのです。
ちなみに、マッサンのモデルは日本のウイスキーの父、竹鶴政孝。関西で学び、単身渡英し、帰国後日本初のウイスキー蒸留所の建設に携わった人物です。
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マッサンこと竹鶴の妻の実名はエリーではなく、リタです。
マッサンは亀山正春ではなく、竹鶴政孝。
マッサンの妻もエリーからリタに変えように少しずつ変えてあります。
今回、憎まれ役で出演の泉ピン子、実は朝ドラ始まって以来の貢献を果たしています。
テレビドラマの最高視聴率記録を樹立した「おしん」に出演していたのです。
なんと62.9%の数字は3軒に2軒の家庭で見られていたことになります。
1年間の平均視聴率も52.6%とダントツの数字(前年までの半年からこの年のみ1年に変更)です。
少女時代の「おしん」を演じた小林綾子はその後、たいした活躍はしていませんが、母親役の泉ピン子は大ブレークしました。
決して美しくない泉ピン子、よく言えば庶民的ですが、今のように太った憎々しげなイメージもありません。
泉ピン子が太ったのはいつからでしょうか。泉ピン子といえば、リバウンドが有名で太ったと思ったら、ダイエットに励み体重を落としています。
ネットで検索では、「泉ピン子+太った」で10年ほど前から、頻繁にヒットします。
太ったり痩せたりリバウンドが激しいようです。
泉ピン子は太ったまま放置すれば、際限なく太ったとしても仕方のない年齢。
芸能界のように不規則な生活では仕方ありません。
63キロまで太った泉ピン子が15キロも痩せたのは2008年の頃です。
当時、ブームになったレコーディングダイエットに挑戦した結果です。
ブームの火付け役はオタキングこと、岡田斗司夫。自ら117キロの太った身体から67キロまで落としたダイエット法を書籍にまとめました。
その本が「いつまでもデブと思うなよ」でした。
50万部を超えるベストセラーになっています。
このダイエット法は毎日摂取する食物とそのカロリーを記録するだけ。
自分が摂取するカロリーを自覚し、食生活の改善につなげるというもの。
本が売れただけでなく、太った泉ピン子をはじめ、このダイエット法を実践したタレントもたくさんいました。
泉ピン子もその一人。当時61歳の泉ピン子は多少太ったとしても当たり前ですが、63キロといえば太りすぎ。
それまでにも何度も太ったり痩せたり、リバウンドを繰り返していた泉ピン子。
当時リバウンドの事例がまだなかったこのダイエット法は泉ピン子にとって救いの神だったのかも知れません。
食べたら書くという面倒くささが自然と食べる量を少なくする効果もあります。
運動嫌いの岡田斗司夫でも続いただけに、努力も要らないと評判でした。
運動不要を宣言するこのダイエット法は、「運動は日常にプラスしてやること」なので、サボる危険のある運動を排除します。
食事であれば毎日食べるため、毎日3回もダイエットのチャンスがあるという合理的なもの。
当時、61歳で太った泉ピン子はたった4カ月で15キロも減量。
くびれまで手に入れたそうです。
1カ月ごとに3キロ~4キロの減量ですから、無理のないダイエット。
カロリーオフのために朝バナナダイエットまで取り入れました。
レコーディングダイエットは最強のダイエットと高い評価を受けましたが、その評判も長続きしませんでした。
その後、リバウンドでまた太った泉ピン子を見れば、このダイエット法の限界も見えてきます。
このダイエットの開発し普及させた後、また太った岡田斗司夫の姿をみれば、その限界も理解できます。
2011年頃からリバウンドし始め、徐々に太った岡田斗司夫がテレビに出演しています。
ネットでは、岡田斗司夫が徐々に太ったことを確認するため、「岡田斗司夫リバウンド2103」、「岡田斗司夫リバウンド2014」など年度ごと検索がまとめられています。
いつころどれくらい太ったか比較して確認できるようになっています。
では、岡田斗司夫や泉ピン子は、なぜ太った身体に戻ってしまったのでしょう。
レコーディングダイエットは、お腹の空き具合や体調ではなく、身長と年齢から割り出したカロリーの基準でダイエットに励みます。
摂取カロリーを制限して泉ピン子も痩せられましたが、その後、必ずといっていいほど太った状態に戻ります。
食事ごとにダイエットのチャンスがあるという説も、食欲の我慢には耐えられないものです。それで岡田斗司夫同様、泉ピン子も太ったのでしょう。
「マッサン」でヒロインを虐めすぎる泉ピン子がネットで叩かれることは確実。
太った泉ピン子も、ネットの評判で悩んで痩せられればいいのですが・・・。
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