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こんにちは。 【激やせ】名良橋晃が病気?? よろしくお願いします。
本名:名良橋晃、1971年11月26日生まれ、千葉県出身。千葉英和高校卒業後、1990年よりフジタサッカークラブ(現ベルマーレ平塚)所属。
1997年~2006年鹿島アントラーズ所属。
2007年湘南ベルマーレに復帰し、翌年2月に引退発表。
ポジションはSB(右サイドバック)。
2001年にはJリーグベストイレブン、1998年ワールドカップ日本代表に選ばれる。
2012年頃から名良橋晃の激やせぶりは評判でしたが、今年はワールドカップの年、テレビに出演する機会も増えて、激やせの話題が盛り上がっています。
2014年6月5日に「vs嵐」に出演した激やせの名良橋晃は、視聴者に衝撃を与えました。
スポーツ番組を見ない嵐のファンにとっては、激やせした名良橋晃を見て、とても元ワールドカップ日本代表には見えなかったことでしょう。
スポーツ選手は、引退後太るという定説があります。
スポーツコメンテーターを続ける元サッカー日本代表永島昭浩もその一人。激やせの名良橋晃とは逆です。
現役時代はそのイケメン振りで人気のあった風貌も、引退後は激太りで親しみやすいキャラクターに変貌。娘は今話題のフジテレビアナウンサー永島優美です。
現役時代のハードトレーニングから開放されると太る選手が多い中、名良橋晃の激やせには、嵐のファンも驚いたことでしょう。
これだけの激やせで話題が沸騰する中、本人からのコメントは特にありません。
映像や写真を見る限り、名良橋晃の激やせは健康には見えません。
激やせで思い浮かぶのは極端なダイエットと病気です。
ただし、ダイエットならここまでの激やせになる前にやめるでしょう。
そうすると答えは病気。病気については公表していません。
最近ではコメンテーターの竹田圭吾も激やせが話題になっていますが、彼も激やせについては触れていません。
激やせで思い浮かぶ病気はガンです。日本人の病死原因はガンがトップですから、ガンには“死”のイメージが強すぎます。
お茶の間の視聴者は“死”をイメージするような出演者は生理的に受け付けないものです。
病気を抱えていても、生きる努力や死を乗り越える姿は感動を与えるので、日本テレビの24時間テレビのような番組は成立します。
ところが、名良橋晃のような元ワールドカップ代表選手が、病気にしか見えない激やせで、スポーツ関連の番組に出る違和感は相当なものです。
24時間テレビでも病気でがんばる姿が感動を呼ぶのであって、番組のゲストや司会者には病気ではなく健康で明るい姿が求められます。
歴史をさかのぼると、テレビで自らの病気をガンと告白したのは、逸見政孝がいます。
逸見政孝が亡くなったのは1993年12月25日。
フリーアナウンサーとして、タレントとしての絶頂期、48歳でした。
激やせした逸見政孝が記者会見を開き、自分の病気をガンと発表したのは亡くなる3カ月半前の9月6日。
事務所を通してのコメントでは誤解を生じてもいけないので、自分の口から伝えるために会見を開いたそうです。
激やせといっても逸見の姿は、今の名良橋晃の激やせ振りよりはややふっくらしているくらい。
最初にガンが発見されたのは11カ月前、江川卓の紹介を受け病院で受診したときのことです。
みぞおちの辺りに痛みを訴えていましたが、本人は定期健診を兼ねた程度のつもりでした。
担当医からいきなり病名を伝えられました。「胃に初期のガン細胞を見つけた」との診断です。
付き添っていた夫人は恐怖のあまり震えが止まりません。本人も顔が青ざめたそうですが、担当医は夫妻に「初期のガンだから、手術すれば完治しますよ」と言って安心させました。
1週間後に入院し、その10日後、2月4日に胃の4分の3と周囲のリンパ節や、腹膜に転移した病巣を切除する手術を受けました。
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手術後1カ月も経たず退院し、翌日には「夜も一生けんめい。」の収録で仕事に復帰しました。
当初、自分の病気は穿孔性十二指腸潰瘍と偽って好評していました。
実は逸見自身も知らされておらず、夫人にのみ伝えられた事実がありました。
病気は初期のガンではなかったのです。
春には新番組も始まり、逸見は軌道に乗り始めたと思った矢先、5月下旬になると、手術跡がケロイド状に膨れ始めました。
担当医からは通常、手術後に起こる症状だから心配ないと言われましたが、突起物が大きくなって、服も切れないほどになって再手術を受けました。
8月12日に突起物除去の名目で再手術を受けますが、ガンは既に腹腔全体に広がるほどに進行していました。
もはや手の施しようのない状況にもかかわらず、執刀医は本人にガンの再発を一切告知しません。
夫人はガン再発を告知するように依頼しますが、拒否されました。夫人や所属事務所の社長は、何度も別の病院での診察を勧めますが、逸見本人は全く受け入れません。
当時はセカンド・オピニオンという概念が一般化していないことと、レギュラー番組を5本も抱えていたこともあり、そのまま病気は進行しました。
逸見がガンの再発を宣告されたのは、9月3日。3日後の9月6日に記者会見を開いたのは前述のとおりです。
この会見で初めて公の場で自らの病気が進行性ガン(スキルス胃ガン)であることを告白しました。
記者会見終了後、「がんばってください」と満場の拍手で激励された逸見政孝。
この経験が最後のテレビ出演となりました。
当時は「ガンという病気を記者会見で発表する」ことが異例中の異例でした。
そのため、一部マスコミでは、「病気をネタに売名行為」「とてもいい営業をしている」などと中傷記事も書かれました。
会見から10日後の9月16日に13時間に及ぶ大手術を受け、一時期は回復の様子も見られましたが、10月23日に病気は急変、一時帰宅日であったが中止に。
絶対安静の状態が続き、逸見は衰弱していきました。
11月上旬からは抗がん剤の投与が開始され、10月に公表された病室での姿よりさらに激やせに。
170cm、50kgを切るほど激やせしていた12月16日、再検査で腸にガンが見つかりました。
主治医の判断で手術は見送られたまま、12月24日に危篤状態に陥り、翌日東京女子医科大学病院でこの世を去りました。
長くなりましたが、有名人がガンという病気の公表から死を迎えるまでの一例を紹介しました。
逸見政孝も名良橋晃同様、誰が見ても激やせ状態になっていました。共演していた島田紳助が逸見に向かって「実はガンなんです」「もうすぐ死にます」と冗談を言い放っていました。
それほど、激やせになっていた逸見政孝。さすがに名良橋晃に向かってこんな冗談を言えるタレントはいないと思います。まずい冗談です。
当時は、今ほどネットが普及していないので、名良橋晃ほど病気だとか、ガンだとか世間は騒いでいません。
名良橋晃の知名度が逸見政孝ほどではないのも、幸いしているのかもしれませんが、本人にしてみれば、他人が病気だ、ガンだと騒ぐのは気持ちよくないはずです。
病気を公表したらしたで、逸見のときのように「病気を売名行為に利用」といわれるかもしれません。
名良橋晃自身、激やせ原因を病気と認めていません。
病気と認めたら仕事の依頼も減るので名良橋晃本人も事務所も、「病気」だけは否定するはず。
名良橋晃がコンフェデレーションズカップのブラジル戦を解説する写真がネットで頻繁にアップされています。
頭蓋骨が露出したような激やせの名良橋晃の顔。
ジャケット姿の肩幅は異常に狭く、衝撃的な写真です。
ネットユーザーが面白がって、画像編集ソフトで加工したのかと疑われるほどの激やせです。
サッカー界でいえば、本田圭佑の飛び出した目が話題になっていましたが、事務所が「本田の目は問題なし」と公式発表しています。
名良橋晃の激やせ問題に、サッカー記者も取材しないのでしょうか。
確かに、本田圭佑と名良橋晃ではネームバリューが全然違います。
引退後、6年経過してレギュラー番組もない名良橋晃ですから、一般視聴者にはそれほど関心ももたれていません。
それに比べると本田圭佑はビッグマウスで有名。
ワールドカップ優勝宣言は失笑の的でしたが、あれ以来“口だけ番長”と呼ばれるほど、日本中が注目する人物。
サッカーと関係の無いバセドウ病ばかりが話題になりましたが、ミラン復帰後の活躍で本業のサッカーが話題になっています。
逆にバセドウ病の話題も沈静化して、もともと病気ではなかったとか、病気が回復したのだとか、好きなことを書いています。
名良橋晃の場合は、選手でもなく、レギュラーでもないので、これほどの話題になることはありません。
少しは気が楽かもしれませんが、病気が病気。
ガンとまで言われてしまえば、逸見政孝のように余命数カ月の運命かのような印象を与えてしまいます。
名良橋晃の激やせ原因。実はマラソンのし過ぎて激やせしているだけで、病気でもなんでもないことを祈ります。
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