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こんにちは。 【母ママへ】AIが太った?? よろしくお願いします。
本名:植村愛Carina、1981年11月2日生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出生。
母方の祖母がイタリア系アメリカ人のクォーターで、母の文化人のバーバラ植村。
母の影響でマイケル・ジャクソンの影響を受ける。
4歳で鹿児島に移住し、中学卒業後LAの名門音楽スクールに入学。
2000年、音楽スクール卒業後、帰国し、「Cry, just Cry」日本デビュー。
2005年、「Story」で初のNHK紅白歌合戦出場を果たす。
昨年の1月6日に結婚した歌手のAI。
都内の区役所に婚姻届を提出していたことが分かったのですが、そのときのAIの苦労の一部始終がブログで報告され話題になっていました。
AIのお相手は、音楽集団カイキゲッショクのリーダー・HIROです。
AIの所属レーベルも以前から二人の結婚を認めていました。
実はAIとHIROの交際は長く、10年以上。
一昨年3月にAI自身のブログで2013年中に結婚する予定と発表していました。
その年の12月20日にAIとHIROの結婚保証人となっていた内田裕也がテレビ番組で語ったことを受けて、AIはある報告をします。
「実は一度婚姻届提出に行ったのですが、書類が足りなくてコンプリートされていません」と婚姻届が受理されなかったことをTwitterで明かしたのです。
その後「結婚するする詐欺にならないよう年内にはちゃんと出しにいきます」と宣言。
ところが、29日に提出に行くと、役所は28日から翌年の5日まで休み。
「今年中に絶対行くと誓ったのに、達成できなくて残念」と再度婚姻届が提出できなかったことを報告します。
そして1月6日夜、「ついにコンプリート!!サンキューエブリバディー!」と三度目の正直で入籍完了の喜びを伝えました。
ファンにとっては、婚姻届の一部始終を目撃できた満足感もありましたが、AIの誠実さもわかって本心から祝福できたことでしょう。
そんなAIの結婚を最も望んでいたのは、母のバーバラ植村さん。
母がイタリア系アメリカ人のハーフであるバーバラさんは、夫とともに日本に移住した当初、生活の違いに苦労が絶えず、体調を崩してしまったそうです。
そんなとき母バーバラさんが出会ったのが自己啓発の本やビデオ。
アメリカに住む自分の母から300冊も送られてきたそうです。
そのおかげか悩みを解消する力を得て、その分野では講演会の講師から作家までつとめる文化人にまでなってしまいました。
そんなAIの母が、娘が結婚しない(できない)ことについて、悩んでいた時期がありました。
2010年10月6日、フジテレビで放送された「グータンヌーボ」で、母から娘を鼓舞するように「結婚する方法」をレクチャーしていました。
元々、母のバーバラさんは結婚セミナーの講師も務めるプロ。
すでに6組を結婚に導くという実績も持っています。
気になるその方法とは、どんなものか。
5つの項目を書き出すことから始めます。
「自分の名前」「自分の結婚のイメージ」「結婚する年月日」「プロポーズのシチュエーションと言葉」「結婚して、相手にしてあげたいこととされたいこと」
以上の項目を書き出したら、その内容をイメージしながら「うれしい」と心から念じるだけ。以上だそうです。
簡単すぎて「こんなことで本当に結婚できるのか」と疑われるかもしれませんが、この方法は非常に理にかなっているという説。
イギリスの作家ジェームズ・アレンの言葉に「美しいビジョンや高尚な理想を抱く人は、いつかはそれを実現する」というものがあります。
紙に書き出すことで物事を具体的にイメージし、具体化するためにとても有効です。
結婚への推進力になることは間違いありません。
当時のAIはHIROと交際中でしたが、いつまでも結婚しない娘に母としての悩みが尽きなかったことでしょう。
他人の子を6組も結婚させているのに自分の子は結婚させられない。
母の立場としては、辛いものだったようです。
そんな母に捧げたのがAIの名曲「ママへ」です。
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自分の母だけでなく、すべてのお母さんが幸せになることを願って作った曲です。
結婚セミナーの講師も務める母のバーバラさんは、実に多彩な文化人です。
英会話学校の経営や、テレビコメンテーター、幼稚園・学校・大学・英語専門学校の講師なども経験。
振付師やイラストレーターとしても活躍する多彩なお母さんです。
講演会は2000回を超え、セミナー、研修、社員教育も行います。
内容は前向きな生き方を推奨するもの。
「愛ある言葉は良薬」がモットーで、8割褒めて2割叱るを実践してきた自らの体験を語っています。
母としての教育方針が娘のAIの才能を開花させたのも理解できます。
たとえば、「自分を自由に表現する」というもの。
世の中に間違いとか正解とかはない。あるのは違いだけ。
この母からのメッセージがAIの創作力を育んだのは間違いありません。
そして「才能を見つけ才能を伸ばす」というものもあります。
AIの母は常に娘のAIに「あなたの才能を見つけなさい。
誰でも何か才能を持っている」と唱えていたようです。
2000回も講演で語られたメッセージを母から直接、教えられたAIは幸せな環境だったことでしょう。
この母がいて初めてAIの代表曲「ママへ」が生まれたのです。
母に捧げるAIの「ママへ」をアイスショーのテーマ曲に選んだ安藤美姫。
2013年7月6日と7日のことでした。
AIの生歌に乗り、自分が母になって初めて分かる思いを情感いっぱいに滑って安藤美姫。
自らを産んでくれた母への感謝を込めた曲ですが、安藤にとっては未婚のまま母になることを決意した自分に向けた歌でもあります。
このとき、生歌のために登場したAIの姿があまりにも太った様子なので、ネットを騒がせました。
AIは太った体型で帽子をかぶり、まるで和田アキ子みたいだといわれています。
以前はゴリラに似ているという意見が多かったのに、最近では和田アキ子似。
どちらに似ているといわれてもAIは嬉しくないでしょうが、太ったことは事実のようです。
元々、AIはルックスで評価されてる歌手ではありません。
多少太ったとしても、本人は気にしていないような気がします。
声量を維持するため、あえて太ったままの人もいます。
昨年11月23日に亡くなったオペラ歌手の中島啓江さんです。
中島は165cmで180kg。
太った身体と4オクターブもある音域の広さは、和製フレディ・マーキュリーと呼ばれることもありました。
51歳のとき189.2kgと本人としても最高に太った時期に、健康診断を受けて過剰に太ったために心臓に過度の負担がかかっていることが判明。
それまでは声量のためもあって、太ったことはそれほど気にしていなかった中島もさすがに、ダイエットを心がけたようです。
そのダイエット法は、キウイを毎朝食べる「朝キウイダイエット」。
20kgは絶対痩せるつもりとステージ上でファンに宣言していたほどです。
ベッドから起き上がるのも一苦労だった太った中島の身体も徐々に体重が落ちました。
最大に太った189.2kgの体重は、3カ月後、168.4kgまで落ち、20kg以上の減量に成功したのです。
20kg減量してもまだまだ太った身体の中島。
普通の人からくらべれば3倍も太った身体です。
もっと継続して痩せ続ければよかったのでしょうが、ダイエットは続かなかったようです。
その6年後、呼吸不全のため57歳で亡くなりました。
訃報を聞いた昭和音楽短大の後輩・森久美子は、先輩の突然の死を悼みます。
森久美子も以前は極端に太った身体と豊な声量で、中島と姉妹のようなイメージでした。
ところが太った森久美子は一念発起、ダイエットを続けました。
太ったといっても、森久美子の場合は、120kg程度。
ただし中島と違って、太った身体を意識して、何度もダイエットにチャレンジします。
2008年9月19日放送の「驚異のダイエット『D-1』コンテスト」では、朝バナナダイエットを1カ月半実践。
20年ぶりに100kgを切ることに成功しました。
さらに2012年8月からロングブレスダイエットを8カ月続けました。
その結果108.2kgから79.6kgと28.6kgの減量に成功。
当時、太った人の間で大流行だったロングブレスダイエット。
呼吸法だけで太った人も痩せられるという美木良介考案のダイエットです。
ところが、森久美子は突如、ロングブレスダイエットの効果を否定しました。
それ以外に炭水化物を茶碗4分の1だけ昼しか取らない食事制限、5~10kmのウォーキングと腹筋100回を毎日こなしたと告白します。
いずれにして極端に太った身体は健康に良くないのは事実。
AIは太ったといってもこの二人とは比較にならない程度。
声量をさらに豊にしてくれるなら多少太ったことに対してもAIのファンは大目にみてくれることでしょう。
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