太った芸能人、やせた芸能人を取り上げ、ダイエット情報を発信している安川です。





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こんにちは。今日の話題は、 【拒食症】宮沢りえ激やせ!! です。よろしくお願いします。

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本名:宮沢りえ、1973年4月6日生まれ、東京都練馬区出身。

父はオランダ人。11歳でモデルデビューし、「三井のリハウス」の初代ハウスガールを務め注目を集める。

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1991年ヌード写真集が150万部の大ヒット。

翌年、貴花田(後の貴乃花)と婚約するが、2カ月後に婚約解消。

その後拒食症のため激やせするが、女優として才能を開花、数々の受賞暦がある。

8月21日、宮沢りえが主演映画「紙の月」の完成会見に登場しました。

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7年ぶりの主演映画で宮沢りえの激やせぶりが話題になっています。

宮沢りえのかなりの激やせぶりに拒食症の再燃かと心配するファンも多いようです。

会見では原作の角田光代、吉田監督、大島優子など豪華な顔ぶれでした。

原作は2012年に第25回柴田錬三郎賞を受賞。

2014年1月にもNHKのテレビドラマとして放送されました。

テレビでは原田知世が主演、宮沢りえと同じ役を演じていました。

2人の共通点は離婚歴があること。

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この二人の経歴は、今回の演技に役立つのかもしれません。

この作品のストーリーは、平凡な主婦が、年下の大学生と不倫関係になり、貢ぐというもの。

貢いだ金は契約社員として働く銀行の顧客の預金。

その横領がエスカレートして億単位になり、男からも裏切られ、海外逃亡するという話。

天使のように可愛かった宮沢りえも婚約、婚約解消、拒食症、激やせ、結婚、出産、離婚、親権争いなどさまざまな体験をしてきました。

その豊富な経験が今回の演技に役立っているのは間違いありません。

離婚後も女優としての仕事は順調で、天野祐希が心筋梗塞で治療入院した際には、「おのれナポレオン」の代役を稽古期間わずか2日で務めるなど、その実力は誰もが認めるところ。

ただひとつ宮沢りえにとって気がかりなのは、分かれた夫との間にできた子供の親権問題です。

今年の4月には元プロサーファーの夫との離婚調停が決裂したことが報じられました。

宮沢りえは2012年5月に、報道各社にファックスで離婚協議中であることを発表しました。

その後も協議ではまとまらず、調停に突入したのです。

原因は4歳の長女の親権をめぐって双方の主張が対立してのもの。

離婚調停が決裂すれば、残された道は離婚裁判のみです。

多額の費用がかかる上、芸能活動を続ける宮沢りえにとって何のメリットもありません。

私生活とは裏腹に女優としての仕事は絶好調です。

主役を演じた舞台「MIWA」の演技では菊田一夫演劇賞を受賞しました。

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そして今回の「紙の月」の主演です。

私生活の苦労と仕事の成功のギャップ。

会見に登場した宮沢りえが激やせなのも納得できます。

20歳前後のころの拒食症と激やせについては、あまりにも有名です。

このころの激やせを経験して以来、デビュー当時のふっくらした可愛い宮沢りえに戻ることはありませんでした。

激やせとは言わないまでも、スリムな体型を維持する宮沢りえは、拒食症が続いているのでしょうか。

もともと宮沢りえは本人の意志というより、母親の強いプッシュで芸能界入りしました。

保険の外交やホステスを続けながら、手塩にかけて育てたのが宮沢りえです。

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六本木の高級すし屋の主人と深い関係になり、わざわざ幼い宮沢りえを店に連れて行ったのも、りえママの戦略。

宮沢りえは常連の芸能界幹部の目に留まり、スカウトされ、即デビューできました。

拒食症は、神経性無食欲症とも呼ばれる精神疾患の一種です。

拒食症はストレス(心理的要因)が原因になることが多いそうです。

一度拒食症になると、慢性になることが多いので、宮沢りえの場合も拒食症が慢性化しているのかもしれません。

食べられないので当然激やせしていきます。

拒食症は摂食障害のひとつで、逆の症例は過食症があります。

拒食症と過食症は相反するもののようですが、拒食症から過食症に移行するケースが60%から70%も見られます。

その後も、激やせぎみの状態が続いているので、宮沢りえの場合は拒食症のままで、過食症にはならなかったようです。

拒食症の指標は、激やせと呼ばれない程度、最低限の体重を維持しているかどうかだけで判断します。

日本では平均体重の80%以下が拒食症に分類されています。

つまり、食が細くなっても、激やせしなければ、拒食症とは呼べないのです。

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現在の宮沢りえの激やせは離婚後の娘の親権問題が原因かもしれませんが、20年以上前の激やせには別の理由がありました。






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1992年11月27日に宮沢りえは、当時関脇だった貴花田と婚約発表をしました。

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当時の相撲界では若貴兄弟のブームがピークのころです。

宮沢りえは芸能界で、貴花田は相撲界で、両者ともに大人気だったので、この婚約発表には世間の注目が集まりました。

ところが、翌年の1993年1月27日ちょうど2カ月後に宮沢りえは婚約を解消してしまいました。

このとき発表されたコメントは「人生最高のパートナーになれなかった」でした。

理由はいろいろ取りざたされましたが、りえママと、貴花田の両親との折り合いが悪かったことが挙げられています。

りえママはステージママとして、せっかく人気を得た宮沢りえを専業主婦や相撲部屋の女将にしたくなかったのでしょう。

誇らしい婚約発表から、わずか2カ月で奈落の底に転落した宮沢りえ。

拒食症から激やせになるのも無理ありません。

一般人の婚約解消とは違います。

そう簡単に食欲が戻るとは思えません。

拒食症は長引きます。当然、激やせからの回復も遠のきます。

デビュー後、人気が出た途端に、独立させ、自らがプロデューサー兼マネージャーとして辣腕を振るったりえママ。

普通なら独立後、潰されるタレントが多い中、りえママの迫力には業界も沈黙したのでしょうか。

10代の宮沢りえが最も輝いたのは、篠山紀信撮影のヘアヌード写真集「サンタフェ」です。

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発売の2年前に撮影していた写真です。

旬の時期に発売するりえママのステージママぶりはたいしたもの。

当時、ビートたけしは、「娘がヌードになるのを止めるのが親だろう」と毒づいたほどです。

貴花田との婚約も、りえママの演出が入っていたのかもしれません。

あれほど大々的に婚約発表していなければ、その後のダメージももう少し小さかったかも知れません。

貴花田への愛情が残っていればショックはより大きいはず。

拒食症からの激やせは起こるべくして起こったのです。

その後、宮沢りえのブランクは長く、精神的な回復にも時間がかかったのと同様、拒食症・激やせからの回復にも時間がかかったようです。

2001年に香港映画「華の愛~遊園驚夢」でモスクワ国際映画祭・主演女優賞受賞まで8年の歳月を費やしています。

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2003年には「たそがれ清兵衛」で最優秀主演女優賞である、日本アカデミー賞受賞を果たす。

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2005年、「父と暮らせば」でも主演女優賞のブルーリボン賞を受賞と演技派女優として、順調なキャリアを積んでいます。

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女優としての実績は申し分ありませんが、私生活は決して幸せとはいえない宮沢りえです。

母親の半生はどうでしょうか。

ホステス時代にオランダ人と恋に落ち、宮沢りえを出産。

祖父に預け、単身オランダに渡ったが離婚。

ホステスをしながらりえを育てます。

母親も幸せな人生を歩んだとはいえないのですが、宮沢りえも決して幸せな人生ではないはず。

幸せな結婚を夢見て婚約。

そして本人の意に沿わない婚約解消。

拒食症、激やせや自殺未遂から8年にも及ぶブランク。

貴花田と別れた傷心の宮沢りえを慰めたのは故・中村勘三郎。

妻子もちの男であれば、結婚できないので安心なのか、りえママ公認の相手でした。

しかし、幸せな結婚を夢見る宮沢りえは不倫のもつれから自殺未遂騒動を起こします。

精神的な安定を得られない、宮沢りえの拒食症は癒えず、激やせも継続。

その後も、宮沢りえは市川右近、市川海老蔵と歌舞伎俳優とのうわさが続きます。

中田英寿とはキス写真まで公表されてしまいました。

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ところが、りえママに反対され、すべて潰されてしまいました。

宮沢りえの半生は、母親に翻弄されてきたのです。

幸せな結婚は無理とあきらめかけた宮沢りえの前に現れた素性もわからない元プロサーファー。

母親の目の届かないハワイで結婚を決めてしまったのです。

いわゆるできちゃった婚です。

結婚は何歳でもできますが、出産には限界があります。

妊娠したのが35歳。高齢出産の部類には入ります。

最後のチャンスと思ったのでしょう。

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母親に干渉され続けては、結婚どころか出産の機会さえ奪われてしまうと、あせった宮沢りえが、妊娠と結婚を同時に発表したのもわかります。

そこまでして、子供を得た宮沢りえにとって、絶対手放したくない親権です。

親権争いには絶対勝ちたいはずです。

その心労が拒食症と激やせに拍車をかけているのでしょうか。

今回の激やせは親権争いが原因かもしれません。

井上レポーターによると、夫が親権を手放さないのは、裁判に持ち込まれたくない宮沢りえから、少しでも多くのお金を引き出すためらしい。

母親との親子関係で失敗した宮沢りえ。

娘と幸せに暮らすことが唯一の望みかもしれません。

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一日でも早く、宮沢りえが親権争いに勝ち、拒食症と激やせから開放される日はくるのでしょうか。








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