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こんにちは。 【実家話題】尾野真千子なぜ太った!? よろしくお願いします。
本名:尾野真千子、1981年11月4日生まれ、奈良県五條市出身。
1997年、中学3年で映画監督河瀬直美の目に留まり、映画「萌の朱雀」で主演デビュー。
2007年、同監督による「殯の森」で再び主演し、第60回カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得。
2011年、NHK連続テレビ小説「カーネーション」のヒロインに抜擢される。
尾野真千子の実家が話題になったのは、1月12日の日本テレビのバラエティ特番「しゃべくり007×人生が変わる1分間の深イイ話合体!幸せな結婚怖い結婚の掟SP」に出演したとき。
同番組にゲスト出演していた俳優の堤慎一は尾野真千子とプライベートでも仲がよく、飲み仲間でもある関係。
尾野真千子の実家とも交流がある堤慎一が「尾野真千子と結婚する人は大変」と切り出しました。
理由を聞いた出演者一同は、驚きの声をあげます。
その理由とは「まず最初に家族全員に局部を見られる」という謎の儀式があること。
尾野真千子は「嘘ですよ、嘘です!」と笑いながら必死で否定し、「ちょっと話が盛られすぎ」と認めてしまいます。
尾野真千子の実家周辺は奈良の山奥の集落なので、「男子が少なく、若い男の子がくると、とりあえずいじめたくなる」という衝動に駆られることを告白。
その結果、「周りを囲んでパンツを下げて。ちょっかいを出す」と身振りを交えながら、実家の謎の儀式の真相を明かしました。
尾野真千子の実家は4人姉妹。末っ子なので、姉たちの結婚相手に対するその儀式を見てきたようで、「脱がす行為までは何となくしてみます」とキッパリ説明します。
実家の家族は抵抗する姿を面白がるそうで、結婚相手がきれたりすると結婚を許さないそうです。
とはいっても無抵抗でもダメ。
のりのいい尾野真千子の実家の一員になるには、この儀式を面白がる姿勢が必要なのだと笑って話しました。
尾野真千子自身の結婚願望については20代からあったそうですが、実家の謎の儀式があるため、「すごいえりすぐらないといけない」と答えます。
現在は「謎の儀式に対応できる人を探しています」と実家が認める男性を求めていることを告白しました。
奈良の山奥だけに残された謎の儀式なのかと、気になる人もいるようなので、尾野真千子の実家の場所を少し説明します。
尾野真千子が生まれた頃の住所は奈良県吉野郡西吉野村でしたが、2005年9月に五條市に編入されたので、今は村ではありません。
元々、吉野郡は奈良県の半分以上を占め、山間部が中心。
五條市に編入されたとはいえ、山奥であることは変わらないのです。
西吉野村には奈良県指定の天然記念物として、ヤマモモの巨樹とふくじゅ草が自生していることが挙げられています。
尾野真千子の告白では、「実家の周りにはスーパーがなく、買いに行くのも距離がありすぎて、家には普段からおやつがなかった」そうです。
尾野真千子は、「お腹が空いてもお菓子を食べられないので、学校の帰りに木の実を食べながら下校していた」と話しています。
そんな環境で育った尾野真千子が映画界にデビューするきっかけを作ったのは、先ごろもフランスの芸術文化勲章シュヴァリエ章を受賞した河瀬直美です。
中学3年生のとき、尾野真千子は地元中学校で先生の靴箱を掃除していました。
その姿を映画監督の河瀬が見ていたのです。
普通の中学生なら掃除の時間も適当に手を抜いても当たり前なのに、尾野真千子が一生懸命掃除に熱中していたのが印象に残ったそうです。
たまたま映画のロケハンに来ていた河瀬監督が真面目に掃除をする尾野真千子を見かけたことがスカウトにつながったというわけです。
実家に帰って父親に相談しても、大反対されましたが、尾野真千子の強い意思からお父さんも承諾してくれます。
このとき、尾野真千子が通っていた中学は奈良女子大学附属中等教育学校で、偏差値は70程度の超エリート校です。
お父さんが反対するのも理解できます。
その後、県立の御所高校に通い、卒業まで実家暮らしを続けます。
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風変わりな習慣のある実家の人たちですが、映画に主演したくらいで、上京させないところからは、堅実な暮らしぶりがわかります。
尾野真千子の実家が奈良にあったことが世界的に認められた監督と出会う結果になりましたが、幸か不幸かそれでいきなり有名になることもありませんでした。
今でこそ世界的に著名とはいえ、国内では知名度の低い河瀬監督。
尾野真千子が出演した「萌の朱雀」は監督にとって初の商業作品でした。
1997年の第50囘カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人賞)を27歳の史上最年少で受賞して話題になりましたが、河瀬監督が国内でメジャーになったわけではありません。
映画の舞台も尾野真千子が暮らす実家と同様、過疎化の進む村。
山村における過疎化の現実とそこに生きる人々の関わりや感情を描いた作品です。
「萌の朱雀」は河瀬監督本人の手で、小説化され幻冬舎から出版されていますが、監督や尾野真千子の実家とは無関係の架空の地名「恋尾」が舞台です。
中学3年生のデビュー後、芸能界とは無縁の実家暮らしを続けていた尾野真千子も高校を卒業すると、女優を目指して上京しました。
目立った活躍もしていない尾野真千子にチャンスが訪れたのは、またも河瀬監督からでした。
2007年、「萌の朱雀」からちょうど10年後のことです。
作品は「殯の森」(もがりのもり)で、やはり監督と尾野真千子の実家がある奈良が舞台。
認知症の老人と女性介護士のふれあいを通して人間の生と死を描いた映画です。
今回は第60回カンヌ映画祭の審査員特別賞「グランプリ」を受賞しました。
最高賞パルム・ドールに次ぐ賞です。
生命の連鎖や死生観というテーマが重いことと、メジャー向きでない内容なので、やはり日本では受けません。
尾野真千子を有名にしてくれたのは2008年7月5日に公開された映画「クライマーズ・ハイ」でした。
このとき、彼女は26歳。ようやくチャンスが訪れたのです。やや遅咲きの尾野真千子の人気を決定的にしたのは、なんといってもNHKの連続テレビ小説。
2011年の「カーネーション」でした。世界的なファッションデザイナーのコシノ3姉妹を育てた小篠綾子が主人公。
どう見ても美しくない3姉妹の母親が美人の尾野真千子なのもミスキャストのようですが、その年の第66回日本放送映画藝術大賞放送部門の優秀主演女優賞に輝いています。
ここからは、いつものように「太った」話題を紹介します。
そもそも、冒頭の「しゃべくり007」に出演したのは、映画「神様はバリにいる」の告知をするためでした。
この上映会が1月10日に都内で行われていました。
その時の尾野真千子が太った?と話題になっていたのです。
舞台に並ぶ尾野真千子、堤真一、玉木宏、ナオト・インティライミと李闘士男監督。
この時の写真が尾野真千子が太ったとされるものです。
太ったとか痩せたというのは主観的な意見。
女優やタレントにとって、太ったという表現は最大の悪口。
悪意をもってネット上に投稿すれば、太ったという話題は一気に拡散します。
一番効果的なのは、今回のような舞台挨拶写真ネタの太った情報です。
実際に太ったかどうかは会場に来ていた人にしかわかりません。
ネットで掲載された写真に太ったというコメントを付けてアップロードすれば、もう誰々が太った情報は出来上がり。
今回の尾野真千子が太った情報もそんなところのようです。
要は、女優=美人という一般論に対して太ったという意外性をぶつければ、投稿者の勝ちなのです。
太った情報を成功させるには、もうひとつの要素があります。
本人にどれほど嫌われる要素があるかです。
尾野真千子の場合、嫌われる要素が2つあります。
1つは実家の話題にあるように、あけっぴろげ過ぎる性格。
女優は美人で上品というイメージとのギャップが嫌われるようです。
もう1つの要素は、2012年9月の不倫報道。
お笑いの「ほっしゃん」はこれをきっかけに離婚しました。
それほどほっしゃんとの不倫の記憶は視聴者にも強烈に残り、尾野真千子のイメージはいまだに回復していないようです。
ほっしゃんもこの報道後、テレビ出演は激減、ほとんど見かけません。
ほっしゃんで話題になったのは尾野真千子の太った話題と逆に激やせだけでした。
尾野真千子は嫌われキャラのため、太った情報がネタになるという理由です。
いくら嫌われて太ったといわれても、話題になる間が女優にとっては「華」。
無関心な存在になれば、太ったどころか、何の話題にもなりません。
太ったと言われることこそ、メディアに露出している証拠と諦めるしかないようです。
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