太った芸能人、やせた芸能人を取り上げ、ダイエット情報を発信している安川です。






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こんにちは。 【結婚】幸せ、竹下佳江が太った!? よろしくお願いします。

本名:江草佳江、1978年3月18日生まれ、福岡県北九州市出身。

小学3年生からバレーボールを始める。

1995年、世界ユース選手権に出場し優勝。1996年、全日本代表選出。

2000年度全日本代表で正セッターを務めたが、シドニー五輪では最終予選で敗退。

2001年、ワールドグランドチャンピオンズカップで銅メダル獲得。

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2012年ロンドン五輪で銅メダルを獲得。

スポーツ界の結婚といえば、女子サッカーの日本代表・澤穂希が話題の中心ですが、少し前には女子バレー界でもおめでたの話題が出ていました。

その人の名は竹下佳江。

竹下佳江は自身のFacebookで5月24日に第1子男児を出産したことを発表したのです。

竹下佳江のFacebookによると「5月24日21時11分3260グラムの元気な男の子を出産しました」との報告。

幸せの絶頂のような竹下佳江ですが、結婚したのは2012年でした。

驚かせたのは入籍後しばらくしてからの記者会見で結婚を報告したことです。

結婚を報告したのは2012年8月12日の記者会見のとき、一部の結婚報道について聞かれ、竹下佳江は「事実です。結婚しています」と答えたのです。

結婚の相手は当時、西武から広島に移籍した直後の江草仁貴。

実は2人が結婚・入籍していたのは3月24日、半年近く前だったのです。

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本来、ロンドンオリンピックの銅メダル獲得の記者会見だったのが、竹下佳江の結婚報告会見のようになってしまい、真鍋監督も「結婚記者会見か?」と突っ込む場面も。

芸能人でもなくアスリートの竹下佳江にとって、結婚報告より選手として銅メダルの報告を優先するのは当然。

「チームに参加して成長させてもらったことに感謝したい。最後は勝ちたい思いがつよかったチームが勝ったと思う」と竹下佳江は終始笑顔で語りました。

ロンドン五輪の銅メダル獲得に大きく貢献した竹下佳江は結婚発表の1年後、2013年7月25日、東京都内で記者会見を開き、現役を表明しました。

実際の結婚生活に入ってからは1年半のことでした。

すでにロンドン五輪後、12年の9月にJTを退団し、13年6月に日本バレーボール協会の理事に就任していました。

それでは、竹下佳江が12年に結婚し13年に引退するまでの選手生活を振り返ってみましょう。

福岡県北九州市門司区出身の竹下佳江は3歳年上の姉の影響で小学校3年生からバレーをはじめますが、高校時代まではチームでの全国大会の経験はありません。

1995年、世界ユース選手権に出場し優勝を経験し、翌96年、NEC4レッドロケッツに入団。

97年、竹下佳江は全日本代表選手に初めて選出されます。

その年開催のワールドグランドチャンピオンズカップでは、正セッターの大貫美奈子の控えとして出場。

2000年度全日本代表では正セッターの板橋恵の不調により、第2セッターの竹下佳江が正セッターを務めますが、シドニーオリンピック世界最終予選で敗退します。

日本女子バレーが初めて五輪出場権を逃した責任追及の矛先として「セッターが159㎝の身長では世界に通用しない」と小柄な竹下佳江へのバッシングになったのです。

その逆境を跳ね返すほど不屈の闘志を秘めていた竹下佳江は、代表を続け2001年のワールドグランドチャンピオンズカップでは銅メダルを獲得。

リベンジを果たしたものの、五輪出場権を逃した責任感を感じ続けていたようで、2002年4月、所属していたNECを退社しました。

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一時期バレーボールから離れた竹下佳江は、体力を活かした介護の仕事をしようと考えて、ハローワークに通う時期もありました。

そんな竹下佳江を見かねた当時の一柳昇JT監督から、「一緒にVリーグ昇格し、全国制覇という夢に挑戦してほしい」と楽しいバレーへの勧誘を受けます。

そして2002年8月、現在チャレンジリーグ(当時のV1リーグ)のJTマーヴェラスで現役復帰。

一柳監督の熱意に応え、竹下佳江はチームをプレミアリーグ(当時のVリーグ)昇格に導きました。

2003年ワールドカップで最優秀敢闘賞受賞するなど、竹下佳江は完全復活を果たしたのです。






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さらに2004年アテネオリンピックに出場し、5位入賞にまで導き、シドニー五輪の雪辱を果たします。

2005年、全日本代表キャプテンに指名され、その年のワールドグランプリ2005から主将としてチームを牽引することになります。

2006年世界選手権では大会MVPを受賞しますが、2007年1月27日、竹下佳江はアクシデントに見舞われます。

浜松市で行われたプレミアリーグのトヨタ車体戦でレシーブをした際、リベロの菅山と接触し、右手親指第1関節解放脱臼のけがを負いました。

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ここでも不屈の精神を発揮した竹下佳江は、7試合後にはコートに復帰。

2月25日にスタメンに戻りました。

同年9月のアジア選手権で24年ぶりの優勝に導く大貢献を果たしました。

2008年4月にはVリーグ出場試合が232試合となり、「Vリーグ特別表彰制度」の表彰基準を達成したので、長期活躍選手として特別表彰されました。

2009年11月のグラチャンバレーから全日本のキャプテンを降りた竹下佳江は、コーチ兼任の選手となります。

2010年11月、世界選手権に出場し、銅メダルを獲得。

さらに2010/11Vプレミアリーグでチーム史上初のリーグ優勝と第60回黒鷲旗大会で優勝し、2冠を達成しました。

2011年のワールドカップに出場し4位。2012年6月にロンドン五輪の代表メンバーに選出され、竹下佳江自身3大会連続出場を果たしたのです。

その結果、ロサンゼルスオリンピック以来となる銅メダルの獲得に貢献。

この時点で竹下佳江はやり切った感があったに違いありません。

先に触れたように2012年9月28日JTマーヴェラスを退団した竹下佳江は休養に入り、2013年5月、現役登録競技者としては異例の日本バレーボール協会理事に就任。

13年7月25日に現役引退を発表して以降は、協会理事を務める傍ら、バレーボールの普及活動に力を入れています。

竹下佳江は、先ごろ結婚報道のあった澤穂希と女子スポーツ界を牽引する選手として比較されることが多いようです。

片やワールドカップ大会で日本優勝の立役者となった澤穂希も結婚報告は入籍後。

竹下佳江同様タレントではないので、パパラッチに追われず入籍後の結婚報告でした。

結婚、引退後の竹下佳江は、2013年8月の女子バレー・ワールドグランプリで解説者として現場復帰。

解説者としての実力は大林素子のような天才プレーヤーと一味違った、緻密な常用バレーを熟知した理論派の一面を発揮しています。

159㎝と小柄な身体的ハンデを乗り越え、技巧派セッターとして長く日本代表の中心選手として活躍した竹下佳江にしかできない解説に期待が集まります。

8月22日に開幕を迎えたFIVBワールドカップ2015は、オリンピック、世界選手権と並ぶ3大公式大会。

4年に1度開催されるこの大会に解説者として川合俊一とともに招かれた竹下佳江は、解説者としての実力も認められたようです。

現役を引退しても、解説者として人前に出ることの増えた竹下佳江にとって、大きな変化は太ったこと。

現役引退後は、運動不足で一気に太ってしまうのは、スポーツ選手ゆえの悩み。

とくに体力に恵まれないため、人一倍練習量の多かった竹下佳江が太って当然かもしれません。

解説を始めた2013年8月から、太った情報は一気に拡散します。

「この太ったおばさんは誰?」とか、「太って、顔パンパン」とか太ったことへのコメントばかり。

出産が今年の5月ですから、この時期に妊娠で太ったわけではなかったはずなので、やはり太った原因は運動不足。

とくにこの時期太った情報が目立ったのはフジテレビの「スポルト」のおかげ。

番組に出演し練習の模様を取材する竹下佳江が太って見えても仕方ありません。

なぜなら、普段取材するのはフジテレビの美人アナウンサー。

彼女たちに比べるとイモ臭く太った評価は当然なのです。

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現役時代の太っていない竹下佳江でも、太ったといわれるかもしれません。

何万人の中から選ばれる女子アナとルックスを比べれば太っていて当たり前。

運動不足で太ったことも事実でしょうが、不慣れな取材でぎこちない動きが余計に太ったように見せてしまったのかもしれません。

口の悪い連中は、太った姿は渡辺直美とか好きなことをいっていますが、竹下佳江はタレントではなく、解説の実力を評価してほしいものです。








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