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こんにちは。 【ハーフの噂は】平井堅が激やせ!? よろしくお願いします。
本名:平井堅、1972年1月17日生まれ、大阪府出身。
横浜市立大学在学中から、ライブハウス専属の歌手活動開始。
1993年ソニーレコードと契約し、1995年CDデビュー。
2000年、8枚目シングル「楽園」で注目を集め、「瞳をとじて」でさらなる大ヒット。
ベストアルバムを含めミリオンセラー記録し、男性ソロアーチストとしては、歴代1位を記録。
2005年には初の写真集「歌バカ一代」を10万部限定で発売。
身長が183㎝・70㎏の激やせでハーフのような彫りの深い平井堅。
昨年12月10日にリリースされたニューシングル「ソレデモシタイ」のビデオクリップで、平井堅はインド人に扮したことが話題になりました。
インド人に扮する平井堅は、ハーフというよりインド人そのもの。
歌い踊る平井堅のビデオはまるでインド映画の娯楽作品を観るようです。
ハーフっぽい顔立ちの平井堅にぴったりのキャラクターを活かした楽しいビデオクリップに出来上がっていました。
撮影には2日かかったそうですが、平井堅いわくハーフ顔の自分にしかできないことと語っていたようです。
確かに、本人がハーフでもない限りこれほどインド人らしく演じることはできなかったでしょう。
わざわざインドまで行かなくても、いまどきハーフタレントが多いので日本でも撮影できたのにと冗談をいうひともいます。
たてば、ハーフタレントのデニス植野行雄であれば、インド人ははまり役ですが、デニスの場合は、日本人とブラジル人のハーフ。
平井堅がハーフと間違われやすいのは、いまどきの芸能界、ハーフタレントが増えすぎたせいかもしれません。
ハーフといえば、欧米人の血を引くハーフが主流だったのは昔のはなし。
いまやバングラデシュ系ハーフのローラやフィリピン系ハーフのラブリなど、ハーフはさらに国際化しています。
以前はハーフタレント軍団がありましたが、今はハーフ会と呼ばれるものが主流。
ハリウッドスターが父のハーフ、ユージがブログで「ハーフ会行ってきたよ」と写真と記事を公開したことから一気に「ハーフ会」が有名になったようです。
6月29日に放送された「SMAP×SMAP」に出演したハーフ会。
メンバーはベッキーを中心にテレビをにぎわすタレントの勢揃いです。
他にはローラ、IVAN、ホラン千秋、豊田エリー、アントニー、JOY、ウエンツ瑛士、ユージなど総勢9人のハーフの出演となりました。
7月2日放送の「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」では、上記のハーフメンバーとは別に、ハリー杉山とトリンドル玲奈が加わりました。
ハーフ会を仕切るベッキーが決めたルールは「恋愛禁止」。
メンバーも年長のベッキーに逆らえないのでしょうか。
他にもダレノガレ明美やマリエ、マギー、水沢アリーなど名前が思い浮かぶだけでもたくさんのハーフタレントがいますが、全員がハーフ会に参加するわけではないようです。
独裁者として権力を振るうベッキーに合わせるのが嫌なハーフも多いはず、ハーフだらけの芸能界、反ベッキー派が出てきても不思議はないようです。
ハーフでもない平井堅。ハーフ会に参加できるわけがありませんが、いささか脱線しました。
平井堅といえば、ハーフ並の容貌とは別に、その歌唱力が特徴です。
デビューこそ、1995年と20年のキャリアを誇る平井堅ですが、デビュー曲の「Precious Junk」は50位。
平井堅はそれ以降も7曲のシングルを出しますが、まったく売れません。
2000年1月19日発売の「楽園」が7位に入り、ようやくブレークした平井堅。
この曲のテレビCMに江角マキコが出演したことで問いあわせが殺到したおかげです。
実はこの曲が売れなければ、平井堅は契約打ち切りになるという背水の陣だったのです。
どうしても売りたい平井堅は同じ事務所所属の江角に出演依頼していたそうです。
この曲から平井堅の人気は安定して、出す曲はすべてチャートイン。
2002年8月28日発売の「大きな古時計」では見事1位。
その次の17曲目「Ring」も1位に輝き、22曲目の「思いがかさなるその前に…」、23曲目「POP STAR」も1位になりました。
平井堅の人気はシングルよりアルバムにあります。「楽園」のヒットのおかげで、2000年6月21日発売の3rdアルバム「THE CHANGING SAME」は1位に輝きます。
その後も、4thアルバム「gaining through losing」が2位、5 thアルバム「LIFE is…」、6thアルバム「SENTIMENTALovers」が連続1位になりました。
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苦節5年で何とかJ-POPのスターにのぼりつめた平井堅ですが、デビュー前の逸話には事欠きません。
大阪出身だった平井堅、高校時代は三重県在住でした。
県立上野高校を卒業後、横浜市立大学に進学したのにはそれなりの理由があります。
実は、サザンオールスターズの大ファンだった平井堅は、サザンの出身校青山学院大学の受験を予定していたのに、母親が願書提出を忘れていたため受験できなかったのです。
そのせいで第2志望だった横浜市立大学に進学したというのです。
公立大学に現役で入れる平井堅の学力はまずまずだったのでしょう。
出身高校の偏差値は58(普通科)、理数科なら66の偏差値です。
横浜市立大学の偏差値は60ですから、平井堅は優等生だったようです。
大学時代は桑田佳祐の自宅の門の上に、「コーラスでいいので雇ってください。平井堅」のメッセージにデモテープを添えて直訴した過去があります。
このときのテープのことは桑田も覚えていて、「ちょっと気持ち悪かった」とか「雇っておけばよかった」などと冗談交じりに発言しています。
その後、2003年の「FNS27時間テレビ~みんなのうた」では、桑田・原と一緒にサザンの「栞のテーマ」を歌い、平井堅は長年の夢を実現したのです。
ネットでは、激やせダイエットの広告に利用される平井堅。
公式プロフィールには183㎝で70㎏になっていますから、もともと激やせといわれて無理のない体型です。
5月27日放送の「スッキリ!!」に出演した平井堅の激やせぶりに視聴者は早速反応。
この日の企画は1日のスケジュールを公開するというものでした。
楽曲のプロモーション期間をのぞくと2週間に1度の仕事のみ。
ほとんどニートのような生活です。
深夜0時から2時までネットサーフィンをして睡眠は6時までの4時間。
6時に起きて朝食はバナナのみ。
激やせの原因はバナナダイエットでしょうか。
7時から10時までまた睡眠。
10時から13時がぼんやり。
13時から14時が散歩。
14時から18時がジム。
4時間もジムにいた後は、18時から24時まで飲みとあります。
なんと6時間も飲んでいるのでしょうか。
もちろん、移動時間もありますから、正味の時間ではないはずです。
まるで、定年退職後の年金生活だという意見もあります。
6時のバナナから夕食を兼ねた飲みの時間まで10時間も食事をしないのには驚きます。
バナナが1本程度なら、激やせしても無理ないような気がします。
6時間の飲み時間は、数軒店を変えるでしょうから実質4時間程度としても長すぎます。
酒好きの人はお酒のカロリーはあっても、主食や栄養のバランスが崩れるので激やせまっしぐらかもしれません。
激やせに気づいた視聴者には、以前テレビ番組で平井堅が語っていたダイエットを思い出した人もいるようです。
当時の平井堅の激やせ方法はショウガダイエットでした。
ショウガは新陳代謝を高めるので激やせの効果も大きい食品。
さらに激やせ効果を高めるため、平井堅はコーヒーにショウガを入れるそうです。
意外な組み合わせですが、どちらも脂肪燃焼効果のある食品です。
それにしても朝食のバナナは、平井堅があの噂の持ち主なので気になります。
平井堅といえば、男同士のデート風景などの報道がありました。
今は治療薬も整って、例の病で激やせする人も見かけません。
ゲイで有名だったクイーンのフレディ・マーキュリーは激やせして死亡。
1990年代は治療薬もないまま、カリニ肺炎から激やせになり死亡するゲイだらけでした。
今や同性婚が認められる時代になり、エイズも治療可能な病でゲイを隠す時代でもなくなっています。
平井堅の激やせ理由は分かりませんが、激やせ理由をあえて隠す時代でもないようです。
才能さえあれば、平井堅がいくら激やせしようと理由まで追及しません。
平井堅にも追い風の時代になりました。
さらにヒットを生み出してほしいものです。
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