太った芸能人、やせた芸能人を取り上げ、ダイエット情報を発信している安川です。






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こんにちは。 【ブログ告白】池上季実子が太った!? よろしくお願いします。

本名:臼井季実子、1959年1月16日生まれ、米国ニューヨーク・マンハッタンで生まれ3歳で帰国。

高校まで京都で過ごすが芸能界デビューのため、1974年ドラマ「愛と誠」に出演のため堀越学園に転校。

1979年NHK大河ドラマ「草燃える」に出演後、80年代には「おんな太閤記」「徳川家康」「武田信玄」などNHK時代劇への出演が多い。

1985年に結婚するが後に離婚。

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ブログやFacebookなどの更新に熱心で、現在出演中の「プラチナエイジ」の紹介は、記事の定番になっている。

2015年3月30日から始まった昼の連続帯ドラマ「プラチナエイジ」。

池上季実子と榊原郁恵、宮崎美子のトリプル主演です。

池上季実子をはじめ、3人とも50代半ばですが、ドラマでは60代を迎えた役どころ。
現実にはこれからアラウンド還暦を迎えようとする年代の3人が家族の病気や終活や家族の愛情、年下男性との恋愛など様々な課題を描いたドラマです。

物語の舞台は湘南。60歳になる3人の妻たちがそれぞれの人生の大きな岐路に立とうとしているところからドラマは始まります。

池上季実子は、湘南で輸入家具店を経営する役を演じています。

子供がいない分、夫婦で仲良く自由に生きてきましたが、夫が気付かないうちに認知症に。

榊原郁恵は、子供たちも独立し何不自由なく弁護士の妻の役。

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築70年になる古い家屋のキッチンのリフォームが新しい人生のきっかけになります。

3人目の宮崎美子は、計画通りに何事も実現してきた主婦の役。

何の不満もなかった人生に何となく嫌気がさし、ホストクラブの若い男に入れ込むようになります。

それぞれに葛藤を抱える池上季実子たち3組の夫婦にも日常が続いていきます。

親として、子として、祖母祖父として、妻として、夫として、さらに友達として。

ドラマのキャッチコピーが、「60歳、夢と冒険の年頃です」「ここから人生が輝きだす」というもの。

番組のホームページを見ると、湘南の海辺を歩く3組の夫婦の後ろ姿があります。

この写真を見て驚くのは、異様に太った池上季実子です。

顔の輪郭を見ると丸くて太ったように見える宮崎美子は全然太っていません。

何となく太ったイメージの榊原郁恵も、後ろ姿は太っていないし、むしろほっそりしています。

ところが、面長で太った印象のない池上季実子だけ、驚くほど太った後ろ姿なのです。まず、足首も全く見当たらない太った下半身。

腰回りはさらに太った印象を与える池上季実子。

ウエストのくびれも全くない太った上半身です。

同じシチュエーションの3組の写真は前向きのものもありますが、前向きの写真では、池上季実子も太ったように見えません。

後ろ姿の写真で、異常に太って見える池上季実子。

事前にこの写真を見ていたら、きっと使用不可にしていたのでは?と疑問に感じるほどの太った印象です。

60代の青春物語ですから、太った人がいても当然。

むしろリアルなのかもしれません。

ただし、長年美人女優として君臨してきた池上季実子だけに、わざわざ太った醜い姿をさらしたくないだろうと同情してしまいます。

昔、「男女7人夏物語」がありました。

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1986年の放送ですから今から27年前。

明石家さんまが大竹しのぶと結婚するきっかけになったドラマです。

このドラマにも池上季実子が出演していました。

当時20代の池上季実子は正統派の美人でした。

現在の太った池上季実子と比べると、時の流れの残酷さを感じざるを得ません。

「男女7人夏物語」は視聴率31%の大ヒットで、続編「男女7人秋物語」も制作され、トレンディドラマの元祖ともいわれていました。






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当時、トレンディドラマを見ていた視聴者がちょうど今回の「プラチナエイジ」のターゲットなのでしょう。

「プラチナエイジ」こそ、還暦版「男女7人夏物語」という感じです。

バブル期には、ワンレン・ボディコンのいい女だった池上季実子も今では、太ったウエストを持て余し、ボディコンどころではありません。

夏のお嬢さんだった榊原郁恵も、おばあちゃんの還暦を演じられる年齢。

高学歴の宮崎美子はクイズ女王以外の久々のドラマ出演です。

中高年になっても、みなさん元気な「プラチナエイジ」の出演者たち。

中でも、池上季実子は本の出版やブログ、「徹子の部屋」への出演など話題は尽きません。

3月23日放送の「徹子の部屋」に出演したとき、波乱万丈の半生をテレビで初告白しています。

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「すべての経験は意味があった」と振り返りました。

昨年の7月講談社から刊行した新書「向き合う力」でも告白済みとはいえ、テレビでの報告は初めてです。

この本では親との葛藤や仕事、結婚と離婚、子育て、大事故とその後遺症、終活と老後など誰もが忘れてしまいたい過去を赤裸々に語ったのです。

池上季実子のすべてを変えたという大事故は1987年5月に起きました。

旅番組の仕事でカナダを訪れたときのことです。

街並みを紹介するため、観光用の馬車に乗り込んだ直後、馬が暴走し、走ってきた自動車にぶつかったのです。

池上季実子はそこで、一瞬記憶が途切れました。「気づいたら真横には6階建てのビルが見えて、『今自分は1、2、3、4階の高さにいる』と数えられるほどスローモーションのようだった」と語る池上季実子。

さらに「石畳の道路に体が叩きつけられたときも、ポワンという感じでした」と当時を生々しく振り返ります。

その直後、現地の病院で異常なしと診断され放置。

痛みをごまかしながら仕事を続けた池上季実子に異変が訪れたのは1年後でした。

突然首が動かなくなったので、病院で検査を受けることになりました。

検査の結果、首の骨がずれたまま固まって神経を圧迫していることが判明。

医師による最終的な診断は全身打撲の後遺症でした。

結局、カナダの映像はお蔵入りし、事故は公にならず、池上季実子も訴えなかったため、事故の補償は一切受けられませんでした。

現在も池上季実子は整体治療など、複数の治療を継続していますが、「まだ痛みを感じたり、足が像のようにむくんだり」するそうです。

池上季実子には悪いですが、彼女が太った原因も後遺症なのかもしれません。

ニュースで「『無傷な事故』と聞くたびに、自分のことのように心配になり、後遺症の怖さを口にする」と言います。

この本の出版後、モデルプレスのインタビューを受けた池上季実子は、本を出すことになった経緯を話しています。

出版の依頼はきたが、自分の何を本にしたらいいかわからないので、淡々と自分の昔から今までの話を語るうち、その中でテーマを見つけようと思ったそうです。

執筆作業を通してこれまで自分が生きてきた人生を振り返ったとき、池上季実子は壁にぶつかって余裕が亡くなっても淡々と受け止めてきたことを実感しました。

不思議なもので、自分の人生なのに「私はこんな風に生きてきたんだな」と客観的に自分を見ることができたと語っています。

本を出すのは初めてでも、池上季実子は文字で表現するのは得意なようです。

池上季実子のブログやFacebookでも頻繁に執筆し更新を続けています。

池上季実子オフィシャルブログでは、最近の出来事はやはり「プラチナエイジ」の話題が中心。

4月26日のブログ記事では共演する夫役の春田純一のブログ「春田純一の330号室」を紹介しています。

春田純一も「プラチナエイジ」のことをブログに書いています。

池上季実子は同じ番組のことをブログに書くと比較されるので自分の語彙の少なさがばれて恥ずかしいと語ります。

タレントにとって、ブログは情報発信ツール。

やはり、ブログ更新のたびに、「プラチナエイジ」の話題をつづります。

ブログ以上に、池上季実子が熱心なのは、Facebookです。

公式ブログ同様、池上季実子は頻繁に更新を続けています。

ブログと違って、Cover Photoまで「プラチナエイジ」の写真を使っています。

ブログ同様、高校時代からの親友・岩崎宏美の新曲紹介をして応援しています。

ブログと記事の使い回しで宣伝できるので、便利な時代になったものです。

Facebookでは、ブログにはないサービスとして見損なった方へという記事も設けています。

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YouTubeにリンクを張っているので、番組を見逃してもここで見られるというわけです。

ブログ以上に、うまく活用する池上季実子のFacebook。

さらにブログを更新したので、ブログに来て読んでくださいと告知することも忘れません。

ブログのアドレスをリンクし、オフィシャルブログへの勧誘にも熱心です。

ブログにFacebook、出版などメディアミックスの得意な池上季実子。

アラウンド還暦になっても、情報を使いこなせる池上季実子に死角はないようです。








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